フリースタイルフットボーラー&トリリンガルmasato@グアテマラ親善大使

1990年生まれ。クレヨンしんちゃんの街・埼玉県春日部市出身。常に日に焼けており歯並びが良いラテン系繊細派。さいたま市立浦和高校→明治大学政経学部→メーカーにて人事として2年間勤務。過労で病院に搬送される等激務を経て退職する。ここで「会社に殺されるよりも世界を旅して死にたい」と決意を固めた。治安の悪い中米グアテマラへ1人で飛び立ち1年間ボール1つで中南米を渡り歩く。世界各地でパフォーマンスや子供教室を開催。現在は英語・スペイン語・日本語の3ヶ国語を自在に操るトリリンガル、グアテマラ親善大使としても活動中

人の死をいちいち美談にするのが好きじゃない、皆どうせ死ぬんだし





本日の僕のツイートです。

深掘りします。



SNSなんて超個人的なものであって基本的には何書いてもいいので、身内や知人の死もご自由に書いて頂ければ宜しい。書くことで感情が整理されたり気持ちが晴れる事もあると思います。遠くに住んでいて普段はやり取りのない古くからの知人に励まさるかも知れません。葬式を多数の人に知らせるのにも役立ちそう。これらはSNSの良い所だと思います。ただ個人的には好きじゃないという話です。感情込めて書かれると構ってちゃんに見えるので。



ここからは嫌いな話。例えばスポーツ報道・芸能オーディション・著名人インタビューとか何でもいいんですが「親or親友の死を乗り越えて頑張ることが出来ました」みたいなやつ。いちいちドラマチックに仕立てあげちゃう類の話はどうも苦手です。だって人間が数十年間生きていればそりゃ身近な人も亡くなるでしょう。至って普通なことです。僕は現在27歳ですがやはり近しい人たちが亡くなっています。自分の原動力に出来るものは何でも使えばいいけど、わざわざ公表する事でもない。



例えば難病で亡くなった人を題材に映画・ドラマ・小説化するのは意義があるかも知れません。でもそれでもやっぱり好きじゃない。だって難病じゃなくて、寿命を全うして死んだ人には意義がなかったの?てなるし。なんでしょう、生前の「公表して欲しい」っていう本人の明確な意志の有無ですかね。少なくとも、例えば僕が海外で死んだとして「不特定多数のお茶の間の安っちいお涙頂戴ネタ」にされるのは勘弁ですね。



たまにはこんなひとり言ブログも書くよー。





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