グアテマラの歩き方by旅するフットボーラ―masato

1990年生まれ。クレヨンしんちゃんの街・埼玉県春日部市出身。常に日に焼けており歯並びが良いラテン系繊細派。さいたま市立浦和高校→明治大学政経学部→メーカーにて人事として2年間勤務。退職後は治安の悪い中米グアテマラへ1人で飛び立ち、1年間ボール1つで中南米を渡り歩く。世界各地でパフォーマンス・子供教室を開催。現在は英語・スペイン語・日本語の3ヶ国語を自在に操るトリリンガル、グアテマラ親善大使としても活動中

究極的には評価なんて好き嫌いでしかない

例えば就活生の採用面接にて、全く同じスペック(学歴・面接の点数等)2人の内から1人を選ぶ時。例えばダンスの世界大会決勝にて、どちらも異なるスタイルで素晴らしいムーヴを見せ甲乙つけ難い時。そんな時、究極的には評価なんて好き嫌いにしかなり得ない。例えば2人の部下の内から1人を昇進させる際、自分が好きな部下を昇進させたい人が多いはずだ。



であれば、他人からの評価なんてそこまで気にしなくていいではないか。だって単なる好き嫌いなんだもん。あなたの「好き」を「嫌い」な人が居て、他人の「嫌い」をあなたは「好む」。これはとても自然な事だ。極端な話、自分を好きでいてくれる人が1人居れば生きていける。
口コミの評価が高い映画を見て”え?何が面白いの?”と感じたり、評判で行列のできるラーメン屋で”ちょーまずい”と感じる事があるかと思う。それと同じだ。だから、他人からの評価は気にしなくていい。



ただし、これはある程度高いレベルに達した時の話だ。大して実力もないのに「誰も自分の良さを分かってくれない」とか言ってると中二病という診断が下される。受け入れ難い評価を無視し続けると自分の殻に閉じこもる結果となり、破滅の道へまっしぐらだ。特に初心者の間は先人達の声に耳を傾けても良いと思う。



「判断」はまだいくらか合理的になり得る。しかし「評価」は好き嫌いのレベルにしかなり得ない。